北海道の玄関口函館市へ
連合本部事業の二本柱の一つ、「地方活動」の充実・展開に向け、北海道・亀田教会への支援が決まり、平成二十六年も残り十日となった十二月二十日、北海道の玄関口函館市へ。一路亀田教会へと向かった。
さっそく教会ご家族と、連合本部の私ども二人とで代表者協議会を開いた。教会ご家族は、高村恵美子教会長先生と、若先生一家との四人である。若先生は、亀田教会と高村家の後継者に迎えられて三年になられる。
亀田教会はもともと、現在の教会長先生が信奉者から初代教会長の養女として教会後継なされておられ、初代の頃から、少年少女会活動は毎月続けておられたようである。初代教会長・高村光正先生は、布教当初より光道会(こうどうかい)という名のもとに信徒会活動を活発に進めておられた。とくに青少年育成には心血を注がれ、「青少年に信心の継承なくしては教団の発展はありえない」との信念をお持ちの先生であられたとお聞きする。青年会活動にあっては、昭和八年の教祖五十年祭に教団の方針により青年会をいち早く設立されている。青年会連合本部登録十四番であったということからそのことが良く分かる。
一方、少年少女会活動においては昭和二十四年に結成されたが、指導者の欠如などから自然と消滅していったようだ。しかし、現在の教会長先生が後継されてより、昭和五十二年の布教五十年祭に〝わかば会〟の名のもと、再発足された。そして三年前に若先生家族が加わり、〝わかば会〟を毎月続けておられる。そんな様子や北海道教区の青少年育成状況などを聴かせていただいての代表者協議会となった。
また懇談の中で、少年少女会連合本部の機関紙〝わかば〟を定期購読してくださっている教会であることが分かった。そのような話から、連合本部登録会の説明をさせていただく中で、大人の信心運動、少年少女会運動の協賛理解者として、登録会加入を勧めさせていただいた。すると、「それでは登録させていただきましょう!」と教会長先生の気風の良いお返事があり、すぐに手続きを進めた。さらには、全国大会への間接的な参加として、作品展のこともお話する中で、今夏の大会に出展する運びともなった。ありがたいことである。
そして、日本一小さな教会連合会(三教会)での指導者講習会開催に向けても意欲的に話を聴いて下さった。その中で、「病人が来てから医師免許を取りに行っても遅い。それと同じで、子供の有る無し関わらず指導者は常に教会には必要だ!」との、理事長の格言をお伝えしたのを真摯に受けとってくださり、今後の開催に向けての願いが定まった。
親御さんたちと「育成懇談会」を開催
その二日目は、十二月集会を見学させて頂くことになった。集会の内容は、年明け一月十一日に行われる信徒会の新年懇親会への出し物(楽器演奏)練習をする集会であった。
十二月二十一日(日)十時より、会員六人とその親御さん四人の十人で開会式・ご祈念から集会は始まった。ご祈念先唱後、少年少女会の祈誓・信条・綱領も続けて行われ、初代先生の作詞作曲〝雪坊主〟を歌って開会式は終了。お広前裏の三十〜四十畳くらいの多目的ホールに移動して集会が始まった。
集会の冒頭、若先生の願いから、私の名刺代わりの〝鬼のパンツ〟で楽しく始まり、子どもたちもすぐに打ち解けて下さった。続けて、シリトリによる品物の現物を持って来た数を争う〝品物しりとり〟。五歳から小学校五年生という幅広い年齢層ではあったが、大変盛り上がった。そしていよいよ、若奥様の指導のもとに楽器演奏練習が始まった。一生懸命な子や、なかなか練習に身が入らない子や、いろいろな状況の中で、「雪やコンコン」の楽器演奏と「幸せなら手をたたこう」の合唱練習が小一時間ほど行われた。
時の経つのも早く、十二時が過ぎ、昼食休憩となった。その食事中に、親御さんたちと「育成懇談会」を開催。内容は、・子供が育つとは・信仰と教育・大人としての信心運動・子孫繁盛、家柄一筋のあゆみ・大人の役割と支援など、出向者二人の体験談や意気込みなどを取り入れながらの懇談会となった。また、集会の反省評価なども皆で話し合い、充実したものになった。
亀田教会、あるいは三教会合同での〝指導者講習会〟開催を目指すことを確認して教会を後にした。外はすっかり雪景色。その雪降り続くなか函館空港に向かい、飛行機は無事離陸してそれぞれ無事着陸した。
このような地方活動(草の根・ほりおこし活動)をしております。財や人の派遣のことなど御心配はいりません! 要るのは「教会のやる気!」だけです。ぜひ事務局にお電話ください! (報告・原田恵一郎)