「熊本地震支援活動」カテゴリーアーカイブ

第9次派遣報告(7/11~7/17)

第9次派遣団(7/11~7/17)作業報告

団員 合計10人

第九次派遣団(七月十一日~十七日)

 七月十一日十四時、本部より出発した第九次派遣団三名は、一路、支援団を受け入れてくださっている南関教会を目指す。御本部での全国大会の事前準備により持ち帰っていた工具等を積載していかなくてはならないため、南関教会までの道のりは作業車であるダブルキャブ(六名乗り2tダンプ)で向かう。全国的に大雨のニュースが連日テレビより流れている中での今次便の出発であった。途中九州に入り、一時ワイパーの速度を最大にしても前が見えにくいほどの激しい雨に見舞われ、現地の方々のことを思うと明日からの御用に一層身の引き締まる思いであった。同日二十時頃到着、今次便も無事に到着させていただいたことに御礼。
 十二日作業初日、現地合流組五名を加えT氏宅の解体作業を開始。T氏宅周辺は相当地震による影響を受けておるようで、周辺には地震により道路が一メートル以上互い違いに食い違っている箇所もあり、この道路がもともとは一本の道路であったのかと、自然の力の凄さを改めて思わされた。T氏宅は土壁の木造二階立てであり、地震により家屋内に生活用品を残したまま完全に倒壊しており、解体・分別作業は難航を極めた。また昨日からの雨により、地面はまるで田んぼのようにぬかるみ、解体した資材をダンプに積む足に絡みついた。途中また熱帯のスコールのような集中豪雨も降り出し地面はさらに田んぼの様相を呈した。そんな中でも皆、「今日は雨のおかげで涼しかったね」と明日よりの作業に体力をつなげることができる喜びを分かち合った。御用期間中の食事は甘木教会の奉仕者が作ってくださり、南関教会に帰った後、皆でテーブルを囲んでの夕食は賑やかでとても楽しかった。
 翌十三日は大雨のため、高速道路が不通となっていた。益城町の役場に確認をとってみると「廃棄物の受け入れは行っている。」とのことであったので、「高速道がダメなら一般道で行こう」との団長判断により、今日も現地での御用を行うことができた。出発前、参加された先生が朝の朝礼のなかで「大した御役には立てませんが、木っ端の一つでも拾わせていただきたいと思い、参加させていただきました。」と挨拶され、ふと水前寺清子の『365歩のマーチ』の一節を思い出した。「しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる 人生は ワン・ツー・パンチ 汗かき べそかき 歩こうよ あなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう…』千里の道も一歩から。木っ端一つ一つ、ガレキの一枚一枚を拾い集めることから復興への道筋がついてくると改めて感じられ「今日もみんなで頑張ろう」と作業に向かった。
 十四日、今日は一名減り、夕刻には六名が御用終了予定であったため、まとまった御用ができる最終日となる。現地に着くと、2tダンプ右前輪がパンクしていた。近くに御信者さんの車修理工場があり、パンク修理の依頼、タイヤ交換が速やかにでき、早々に作業に戻ることができ今日も順調に作業を行うことができた。
 十五日は、三名で松橋教会へ向かった。松橋教会は瓦が地震により剥がれ落ちており、ブルーシート養生を行ってはいるものの、先日来の激しい雨により雨漏りをしているとのことで、ブルーシートを張りなおす作業を行い、昼よりは松橋教会長と今後の打ち合わせを行い、次いで隈庄教会長と打ち合わせを行った。
 最終日の十六日は、人数が少ないため重機作業メインで行い今次も無事御用を終えることができた。(報告・片岡義智)

7月11日

 14:00 御本部出発

7月12日

 木山教会信徒T氏
 ・ガレキ撤去、運搬作業

7月13日

 木山教会信徒T氏
 ・ガレキ撤去、運搬作業

7月14日

 木山教会信徒T氏
 ・ガレキ撤去、運搬作業


 

7月15日

 AM:松橋教会ブルーシート張り
 PM:・松橋教会にて打ち合わせ
   ・隈庄教会視察

7月16日

 木山教会信徒T氏
 ・ガレキ撤去、運搬作業

7月17日

 朝、南関教会出発、昼過ぎに帰着。

第6次派遣団報告(6/13~6/19)

第6派遣団(6/13~6/19)作業報告

団員 合計20人

第六次派遣団(六月十三日~十九日)

 教団独立記念祭並びに教主就任式が行われた六月十二日の翌日より十九日までの第六便支援団が結成された。
 今回は延べ二十人の便(内、九州からの奉仕者は五人)となり、マイクロバスで十三日十五時前にご霊地を出発した。奉仕日一日目の十四日は熊本地震の前震二ヶ月の日を迎えた。ここでも阪神淡路大震災との復興の差を感じた。まだまだだと。その日の朝、南関教会での団活動開始御祈念を仕えた。そして、「…どうぞ、実意に、礼儀正しく、親切に、真心で行い、み教えにより信心を進め、お役に立つ人になる稽古とならせてください」とお結界にお届けした。
 その後、早速マイクロバスとダンプに分かれて作業場所に向かった。前の便からの作業で、解体された信奉者宅での廃材の分別と震災ゴミ処分の奉仕を行った。初夏の日差し厳しいなか、ガラスや釘に注意して行った。
 十五日は、昨日の続きと山西教会での作業の二コ班に分かれて作業した。毎日の奉仕の後は、南関教会長のご配慮で近くの大型入浴施設に入らせていただていた。まさに身も心も疲れが取れ、感謝の他ないことだった。また奉仕者同士交代で、炊事や洗濯をする役割分担も出来、ありがたいことであった。年齢や体力に合った奉仕が出来る支援団である。
 十六日は本震より二ヶ月目の日。あいにくの雨のため、一部の奉仕者(信奉者宅の瓦整理)を除いて、全壊二教会への復興祈願参拝と共に、被災地の現状を体感させていただいて、一層の祈りを込めた。
 十七日は雨も上がり、つぎに行う、もう一件の全壊された信奉者宅と山西教会の二コ班に分かれて奉仕させていただいた。しかし急遽、全壊教会からの依頼でご神殿お扉に関わる奉仕も数名で行った。
 今回の奉仕活動最終日の十八日は、山西教会の木の伐採奉仕最終ご用を全員で行った。その日の朝礼で、「ご用奉仕とは、神の氏子とある人間に〝御(おん)用(もち)〟いていただいている体を、神様のご用に〝仕(つか)へ奉(たてまつ)らせて〟いただきましょう!」と申したことだったが、みな黙々と実意に御用奉仕くださった一週間。本当にありがたいことと感謝! あっという間の六便奉仕だった。豪雨と激しい雷が鳴るなか、七便の方々に引き継いで無事ご霊地で解散したことだった。(報告・原田恵一郎)

6月13日

 14:30 本部出発

6月14日

 山西教会信徒M氏
 ・倉庫解体後のゴミの撤去
 山西教会信徒N氏
 ・作業の下見

6月15日

 山西教会
 ・杉の木の伐採作業
 山西教会信徒M氏
 ・倉庫解体後のゴミの撤去

6月16日

 午前中
 ・次の現場確認
 ・被災教会(山西、木山)参拝
 午後
 ・雨天のため休息

6月17日

 山西教会
 ・杉の木の伐採作業
 山西教会信徒N氏
 ・道路に落ちている瓦撤去

6月18日

 山西教会
 ・杉の木の伐採作業
 山西教会信徒N氏
 ・ガレキ撤去作業

以上、第6次派遣団報告

第5次派遣団報告(6/4~6/11)

第5派遣団(6/4~6/11)作業報告

団員 計12人

第五次派遣団(六月四日~十一日)

六月四日午後三時、七名でご本部を出発し、午後十一時、支援団本部である金光教南関教会に到着し、その日はそのまま宿泊。
翌五日、一名が合流して午前七時半に宿営地を出発し、金光教山西教会では解体後の残土の整理作業を行い、その近隣にある家の中の不用品などを廃棄した。
六日からは、山西教会信徒宅より依頼されていた倉庫の解体にかかり、全員で屋根瓦を下ろし、廃棄作業。朝方より激しい雨が降った後の晴天に、湿度も上がり、少し動いても汗が落ちる中の作業となり、また不慣れな屋根の上に緊張する人もいたが、全員で声を掛けながらの作業は、連帯感も深まり、疲れも少し忘れる事が出来た。
七日には、屋根瓦を下ろし終わり、建物の柱の解体作業に入った。
倉庫に使われていた木材は、どれもが立派な木材で、特に梁には、二十メートルほどの建物のほとんどが一本で通るほどの長さがあり、丁寧に重機を使って解体が進められた。
手作業で、木材をダンプに積み込み、何度も廃棄場を往復し、先の見えない作業ではあったが、八日、九日と作業を進めていく内に、あれほどあった木材やがれきも、段々と少なくなり、改めて、一人ひとりの力は限りがあっても、人が集まり積み重ねて行くことで、大きな力となることを教えられた。
十日の日に最後の作業として、大方の廃棄を行い、十一日に全員無事でご本部に帰らせて頂いた。(報告・秦 浩治)

6月4日

 夕方、本部出発

6月5日

 山西教会
 ・教会解体後の整地作業
 ・H氏宅の家財道具運搬

6月6日

 山西教会信徒M宅
 ・屋根瓦取りはずし作業

6月7日

 山西教会信徒M宅
 ・屋根瓦取りはずし作業

6月8日

 山西教会信徒M宅
 ・解体作業

6月9日

 山西教会信徒M宅
 ・解体作業
 H氏宅の家財道具運搬

6月10日

 山西教会信徒M宅
 ・解体作業

第4次派遣団報告(5/29~6/4)

第4次派遣団(5/29~6/4)作業報告

団員 計24人

第四次派遣団(五月二十九日~六月四日)

五月二十九日より第四次派遣団が作業に入った。今回の作業内容は山西教会の解体作業であった。
五月二十九日は雨が降っており、廃棄場が閉鎖された為、解体作業のみとなった。雨の中、合羽を着て、建物を解体し、分別を行った。
三十日からは、天候にも恵まれ、順調に作業は進んだ。解体された建物を、木材は木材、ブロックはブロックという様に分類し、ダンプに積み込み、廃棄場に捨てに行くという作業を終始行った。
三十一日には、キャタピラの修理の終えたパワーショベルも到着した。作業効率が上がることを期待されたが、エンジンの調子がおかしく、すぐに止まってしまう。重機の専門店に聞きながら機関部を見てみると、長らく使用していなかった為、燃料タンク内部に錆が出て、それが詰まり、エンジンが停止するようであった。すぐに燃料フィルターを交換し、燃料タンクの排出部から、ゴミを取り出す作業を試みた。その後はエンジンの調子もよく、無事に作業の効率が上がった。
六月一日、二日、三日と順調に作業は進み、山西教会解体作業及び、整地作業は滞りなく終えることが出来た。整地作業を終えて周りを見渡すと、とても広く、一日でも早く新しい広前が立つ事を願わずにはいられない思いがした。
期間中、賄いの御用奉仕の方がいらっしゃったので、作業員は、作業に専念することができた。食事等のお世話をしてくださる方がいたので、予定通り以上の作業ができたと思う。
 色々な方々の支え、お繰り合わせを頂いての派遣団であることを改めて感じさせられた。
最終日の六月四日は、朝から支援団本部の清掃、ダンプカーや使用した道具・工具を清掃し、帰路についた。
 ある参加者は、会社を一週間、有給休暇を取り、派遣団に参加していた。その彼が、終わりに「とても良い一週間の休日であった。楽しかった」と言って帰って行った。私は、その言葉にとても感動をした。普通であれば、「ああ疲れた」というところだろう。それを「良い休日であった。帰って休んでいた分、頑張らないと…」と言っていた。
教祖様の御教えに、
「神を信じる者は、何をするにも遊ばせて頂くのである。広前の奉仕で遊ばせて頂き、商売でも農業でも遊ばせて頂いているのである。天地の間に嬉しくありがたく遊ばせて頂いているのである」
(天地は語る一〇四)
とあるが、その御教えを体現している姿を見させて頂いた。
 信心するものはこうありたいと思った。(報告・松田清一)

5月30日

 山西教会
 ・教会解体作業
 ・瓦礫の撤去

5月31日

 山西教会
 ・教会解体作業
 ・解体後のゴミの撤去

6月1日

 山西教会
 ・教会解体作業
 ・解体後のゴミの撤去

6月2日

 山西教会
 ・教会解体作業
 ・解体後のゴミの撤去
 ・整地作業

6月3日

 山西教会
 ・教会解体後のゴミの撤去、
 ・解体後の整地作業
 ・ウィンドウクーラーの設置

6月4日

 帰光