第10次派遣団(7/18~7/24)

第10次派遣団(7/18~7/24)作業報告

団員 合計13人

第十次派遣団(七月十八日~二十四日)

「地震が起こってから、片付けとか、何か少しでもせんとと思うけど何もできん。やろうと思っても何から手をつけていいかもわからん。そんな中で皆さんが来て下さって御用をしてくださる。その姿に元気を頂く、私もまた頑張ろうと思える」
第十次派遣団総勢十三名は、前団に引き続き、被災宅から出た物の分別、解体後の整地作業にあたった。連日三〇℃を超え、休憩の度に団員全員が水浴びをしたような状態になるといった非常に厳しい状況ではあったが、熱中症などで大きく体調を崩す者もなく御用させて頂いた。
 そんな中で、冒頭の言葉を頂けたのは御用している者として喜びである。神様に、そして被災された方にとって、お役に立てたであろう喜びである。重機があるとはいえ、手作業でしか行えないものもある。地道な作業であるし、辛抱がいる。目の前に広がる家財や折れた柱などの木片、石。それらを一つひとつ拾い、分別していく。終わりがあるのだろうかと一瞬疑いたくなるような状況の中で、それでも私たちが木片一つ、石ころ一つ拾うことで元気を取り戻してもらえる。木片一つ、石ころ一つ拾うことが誰かの力になる。木片一つ、石ころ一つ拾うことが私たちの、そして誰かの「ありがたい」に変わる。
 誰かの一心の御祈念と、誰かの真心の一円と、誰かの願いと一緒に私たちは御用させて頂いたと感じる。私たちが喜ばせたのではない、偉いわけでもない、力があるわけでもない。私たちが熊本で御用できるように祈り、送り出してくれた教会長はじめ多くの人たちがいる。そして何より金光様が復興の願いや祈りを込めて御祈念をしてくださっている。
 「熊本には行けないけれど、どうか私にできることをさせていただきたい」、私たちの後ろにはいったいどれほどの祈りがあるのだろうかということを思った。その祈りの上に私たちの御用があり、それに気づいたとき、私たちもまた「元気を頂き、頑張ろうと思えた」のである。「人を一人助ければ、一人の神である」と御教え下さっているが、どちらが助ける側で、どちらが助けられる側なのだろう。「人もわが身もみな人である」ということを改めて思わされる活動であった。(報告・竹部真幸)

7月18日

 18:00 南関教会集合

7月19日

 木山教会信徒T氏
 ・家屋解体、ガレキ撤去、運搬作業

7月20日

 木山教会信徒T氏
 ・家屋解体、ガレキ撤去、運搬作業

7月21日

 木山教会信徒T氏
 ・家屋解体、ガレキ撤去、運搬作業
 

7月22日

 木山教会信徒T氏
 ・家屋解体、ガレキ撤去、運搬作業

7月23日

 木山教会信徒T氏
 ・家屋解体、ガレキ撤去、運搬作業

7月24日

  木山教会信徒T氏
 ・家屋解体、ガレキ撤去、運搬作業
 ・作業後、解散